【コンピューターの歴史①】コンピューターはどのようにして今の姿になったのか?

まず、コンピューターがどのようにして今のような姿になっていったのかを振り返ります。この回では、大きな歴史の流れを説明し、次回からの3回で、歴史の流れを変えた3つの出来事を紹介します。
1 大型計算機の時代
黎明期のコンピューターは、科学の研究や軍事目的のための専用の機械でした。それが企業の基幹業務に使われるようになったのは1960年代のことです。この当時、コンピューター業界に絶対的な王者として君臨していたのがIBMです。「メインフレーム」と呼ばれる大型のコンピューターで圧倒的なシェアを誇っており、ハードウェア、OS、周辺機器、サービスまでを自社で一括提供する「垂直統合型」ビジネスを展開していました。当時のIBMはコンピューター産業そのものを1社で牽引・定義するほどの巨大な影響力を持っていました。
1964年に発表された「IBM System/360」は、当時のメインフレーム市場を席巻した代表的な機種です。

写真中央の、前面にランプやスイッチ、ダイヤルが並んでいるのが「中央演算処理装置(CPU)」で、今のパソコンでは1つのチップになっているものです。奥に2台並んでいるのが「磁気テープ駆動装置(テープドライブ)」で、大きな磁気テープのリールをセットして、テープからデータを読み込んだり、書き込んだりしていました。この他にプログラムを読み込むために使っていた「パンチカード・リーダー」や、印刷のための「ラインプリンター」、各装置にデーターを転送するための「チャネル筐体」などがずらっと並び、1セットで建物のフロアを占有するくらいのサイズでした。
上位機種の場合の当時の価格は10億円程度で、今の価値に直すと40〜50億円になります。当時は購入ではなくリースで使うのが一般的でしたがリース料は、当時で月額2500万円ほど(現在価値で1億円程度)かかったそうです。
System /360は、人類初の有人月面着陸を果たしたNASAのアポロ計画に採用され、これにより「コンピューター」という言葉を世の中に広く知らしめました。この影響は大きく、1960年代から70年代にかけて作られたSF映画や特撮番組などには、必ずと言っていいほどIBMのメインフレームっぽいコンピュータが登場していました。
2. ダウンサイジングの時代(ワークステーションの登場)
その後、メインフレームよりも小型で、工場の機器制御やCAD(コンピューターによる設計)、会計処理などの専門用途に使われる「ミニコン(ミニコンピューター)」が登場します。ミニコンの代表機種の一つが、DEC(Digital Equipment Corporation)の「PDP-10」です。

しかし1980年代になると、中央処理装置(CPU)の機能を一つの半導体チップにまとめた「マイクロプロセッサ」と「UNIX」というOSを搭載した高性能な「ワークステーション」が台頭し、ミニコンに取って代わります。ミニコンは「ミニ」という名前が付いてはいましたが、その筐体は大型冷蔵庫やロッカーくらいのサイズがあり、空調の効いた専用の計算機室に置かれるのが普通でした。これに対しワークステーションはオフィスの机の上に載るサイズ(デスクトップ)でミニコンと同等の性能を実現し、「ダウンサイジング」が大幅に進みました。
代表的な製品が、サン・マイクロシステムズの「SPARCstation」です。下の写真の SPARCstation 10は「ピザボックス型」と呼ばれており、サイズは41.7cm x 40.9cm x 7.6cmでした。

3. ネットワークとコンピューター

ワークステーションには、もう一つ大きな特徴がありました。「ローカルエリアネットワーク(LAN)」を介して相互接続して使うことを前提に設計されており、LANと接続するためのEthernetインタフェースが標準で装備されていたのです。
これにより、コンピューターの使い方に大きな変化が起こります。ネットワークを介して、特定の役割を専門に担当するコンピューター(サーバー)と、私たち利用者が直接操作するコンピューター(クライアント)とに役割を分担させる「クライアント・サーバーモデル」が普及したのです。たとえば、会社の中のローカルエリアネットワーク(LAN)経由で共有ファイルサーバーやメールサーバーを使ったりするのがこれにあたります。会社のデータやメールを一括して保管・管理する専用のコンピューターが「サーバー」であり、社員一人ひとりが使うパソコンは、そのサーバーに接続して必要なファイルやメールだけを受け取る「クライアント」の役割を果たします。このように複数のコンピューターが役割を分担することで、大切なデータを一箇所で安全に管理しながら、多くの利用者が同時にそれを活用できるようになりました。
これにより「サーバーコンピュータ」という新しいジャンルが誕生しました。当初サーバーには高性能なワークステーションが使われていましたが、2000年代に入る頃からは、パソコンがベースになった、より安価な「PCサーバー」に置き換えられていきます。ビジネス用のPCサーバーは、はじめは各企業の中にある計算機室に置かれていましたが、やがて専用の「データセンター」に置かれるようになります。データセンターでは、多数のPCサーバーが「サーバーラック」と呼ばれる棚に整然とマウントされ、集中管理されています。最も薄い4.45cmの「1Uサーバー」は、左下の写真のように、ラックに何台も積み重ねて収納できるよう設計されています。このような1Uサーバーが、データセンター内では右下の写真のようにラックへ何段も積み重ねてマウントされ、大量に並べられています。


さらに、データセンター側がサーバーやソフトウェアを提供するサービスが2000年代中盤ごろに始まり、企業側はこれを使うだけという形態になっていきます。ユーザーはサーバーがどこにあるかを気にする必要はなく、「インターネットという雲の中のどこかにあるサーバー」を使うイメージであることから「クラウドサービス」と呼ばれ普及していきます。

この頃から、企業のITシステムは、サーバーの「所有」から、ITサービスを「利用」する形態へと変化していきます。
4. パソコンからスマホへ
一方、少し時間が戻りますが、私たちが個人で使う「パソコン」が登場したのは1970年代のことです。黎明期のパソコンは、一部の熱心な愛好家(いわゆる「オタク」)だけが使うコンピューターに過ぎませんでした。しかし、パソコンの上で表計算ソフトが動くようになると、ビジネスの現場でも使われるようになります。

この時にパソコン市場を開拓したメーカーの一つがAppleです。1977年に発売された「Apple II」や1984年に発売された「Macintosh」は、組み立て済みの本体にカラーグラフィック表示機能を備え、一般家庭やビジネスの現場にパソコンを広めた画期的な製品でした。

パソコンはその後の低価格化とともに1980年代から企業内のビジネスツールとして普及していきました。1990年代にはインターネットと接続する機能が搭載され、一般家庭へも普及が進んでいきます。持ち運びのできるノート型パソコンが普及し出したのもこの頃です。
そして2000年代後半になると、パソコンと同等の性能を持つスマートフォンが登場します。

それまでインターネットを利用するためには「パソコン」を購入して使い方を覚え「固定回線」のための費用を払う必要がありましたが、スマホはこれらを不要としインターネットの普及率を大きく押し上げました。スマホの登場はインターネットを「一部のITリテラシーがある人や豊かな国・世帯のもの」から、「ほぼ全員が利用する社会基盤(インフラ)」へと変え、インターネットに繋がる端末の主役の座をパソコンから奪っていきます。
メインフレームのIBM system/360と現在のスマートフォンを比較してみると、スマホの計算能力はSystem/360の数十万〜数百万倍、一方、スマホの価格は、現在価値での換算ベースでIBM system/360の数万分の1です。こららの数字を見るだけでも、どれだけの進化があったのかが分かりますね。
5. 計算機の歴史からわかること
このように、メインフレームの時代から現在までの60年の歴史を見てみると、大型計算機が全ての処理を司る世界から始まったコンピューターが、2つの方向に進んでいったのが分かります。
一つ目は、コンピューターが小さく、安くなり続け、誰にでも持てるものになっていく方向です。フロアを占有していたコンピューターは、卓上におけるものになり、ノートパソコンからスマートフォンになっていきます。
もう一つは、コンピューターの処理が手元から離れクラウドの向こう側に移っていく方向です。普段は目にすることのないクラウドの向こうのデータセンターでは多数のサーバーコンピューターが束になって、大規模・大量処理を行なうようになりました。AIによるサービスが出現したことでデータセンターで行われる処理はますます大規模化しています。
これら2つが組み合わさって、数十年前には考えられなかった、ネットショッピング、動画配信、SNS、などのサービスを、誰でも利用できるようになったのです。
次回予告
コンピューターの歴史の中には、その後のIT業界の行方を決めたいくつかの重要な出来事が隠れています。
次回からは、その流れを大きく変えた出来事を取り上げます。まずは、現在サーバーコンピューターOSの主流になっている「Linux」が誕生した経緯について紹介します。お楽しみに。
